哲学の小径

膵臓がんの摘出手術をした後、インスリンが出にくくなり、血糖値が上がるという、いわゆる糖尿病になってしまいました。

ゆくゆくは、自己注射を打つようになるらしいのですが、それをなるべく遅らせるため、そして体力の回復のため、昨年の12月から毎晩ウォ―キングをしています。その毎晩のウォ―キングのコースに、とっても素敵な公園があります。

ここを通るたびに、これまで歩んできた人生を振り返り、いろんなことを考えます。

そこで、この公園の散歩道を【哲学の小径】と名付けました。

これからここで考えたことを、ブログに書き記していこうと思います。

過去の過ちを繰り返さぬよう、またここから人生の再スタートを切るために。哲学の小径

人間は考える葦である

このくだりはパスカルの有名な言葉で、誰もがご存知だと思います。
しかし内容はご存じない方も多いと思います。

【人間は自然の中で、最も弱くてもろい生き物であるが、考えることができるという偉大な生き物である】と私は解釈しています。

しかし人は傲り高ぶった時というのは、この「考える」ということを忘れ、全く考えのない言動をとることで大きな失敗を犯すことがあります。

今日は、それについて哲学の小径で考えたことを書きたいと思います。

傲り高ぶった時の悲劇

これは私が体験したことです。

仕事や、人生が上手くいってる時、犯してしまった痛恨のミスがあります。

1.感謝の気持ちはどこへ?

2.仕事がうまくいったのも、全て自分の力なんだ!

この傲り高ぶった気持ちは、態度や言葉になって現れます。
まさに考えのない言動となって。

そうしたら、どうなったか?

神さまが

「それならお前の本当の実力をみせてあげよう!」

と自分の力を知らしめてくれます。

そうなった時には、

自分の力を思い知るばかりではなく、

大切な人や仲間、モノまで失くしてしまいました。

もしかすると、病気になったのもそんな思いあがった気持ちが引き起こした事象が原因では?とも思います。

まさに、失敗事例の典型です。

実るほど頭が下がる稲穂かな

大体、仕事や人生で痛恨の失敗を犯す時というのは、上手くいっている時だということがわかりました。

それを戒めるための言葉が

「実るほど頭が下がる稲穂かな」

だったんですね。

なのに私の場合、感謝ではなく慢心。
自分の実力ではなく、単なる過信。

頭の良い人なら自分で気づきますが、私の場合それを神さまが知らしめてくださったわけです。

これからどうするべきか?

病気になり、仕事も休んでいる間も、多くの人に励まされ応援していただき、ここまで回復することができました。
これは本当に支えてくださいました皆様のおかげなんです。今は言葉だけではなく、心からそう思えます。

また、過去の過ちも素直に認めることもできるようになってきました。

そこで人生の再スタートを切るために、

1.この感謝の気持ちを絶対に忘れないこと。

2.過去の過ちを断ち切ること。

過去の過ちを断ち切るには、それなりの決断や勇気が必要ですが、これは絶対にやらないといけないことです。

身をもって体験した、失敗体験。

これからの人生をどう生きていくか、しっかり自らを見つめ返し、この二つの思いを忘れないよう心に刻んでいきたいと思います。

 

今日は哲学の小径を歩きながら考えたことの1つ目の話でした。