過ちを断ち切る ~ワタナベ先生への謝罪~

前回のブログで、再スタートを切るために

1.感謝の気持ちを絶対に忘れないこと。
2.過去の過ちを断ち切ること。

この二つが必要であるということを書きました。
2番目の過去の過ちを断ち切るために、どうしても行わなければならないことがあります。
それはワタナベ薫先生への謝罪です。

これは今年に入りずっと心の中で、もやもやが残っていたことでした。
そこで今日はブログとSNSにて、ワタナベ先生に公式に謝罪を行いたいと思います。
ワタナベ薫先生への謝罪

 

ワタナベ先生との出会い

今治タオルで作ったプレミアムバスローブが何故か売れない。こんなに良い商品なのに。
プレミアムバスローブそこで、何の面識もないワタナベ先生にモニターのお願いをしました。
ここでもワタナベ先生のお人柄を表すような、感動のやり取りがありましたのですが割愛します。

ワタナベ先生には、弊社へのご感想だけをお願いしておりましたのですが、なんとブログでご紹介くださいました。すると翌朝メールを開くと、全く売れなかったバスローブのご注文が数十着も!

感激と感動で言葉を失うほどの出来事でした。
ここからワタナベ先生とのお付き合いが始まります。

2016年には、ご出資もいただき、弊社の役員として経営にもご参画くださいました。
それまでにも、ワタナベ先生からは様々なご支援を受けております。
そして忘れもしない、ワタナベ先生の広島セミナーを550人もの規模で開催することができました。
そこで全国からお集まりいただきました多くの方と出会い、後に発売を開始する温布の販売では大変ご尽力をいただくこととなりました。

ワタナベ先生への数多のご恩

弊社の象徴的な商品の温布もワタナベ先生がいらっしゃらなければ、世に送り出すことはできなかった商品です。
ワタナベ先生と出会い、そこからワタナベ先生は弊社の救済と発展のため、フリースタイルおよび私個人のブランディングをしてくださいました。
そのおかげで、温布の発売をするにあたり、全国280店の代理店・販売店を5カ月程度で構築することができたのです。
ワタナベ先生には、たびたび広島にもお越しいただき、また東京・仙台でも打合せを繰り返しておりました。

そしてワタナベ先生にお会いするたび、口癖のように言っておりましたのが

「ワタナベ先生 このご恩は一生忘れません!」
でした。

そして私の次なる使命は、ワタナベ先生を筆頭にWJグループで株式上場することでした。

ところが、ここで私は致命的な失敗を犯してしまいます。
上場ともなると、かなりの商品・サービス力が必要です。
『ここからは、私の出番!』という思い。しかしその実、これはわたしの慢心でもあり、傲りでもありました。

ワタナベ先生への感謝の気持ちはすっかり忘れ、自分の力を過信した私は、新しい事業や温布の進捗状況に関しても、取締役であるワタナベ先生に、なんの報告・連絡・相談もなく暴走し始めました。
これらは、もちろん言動となっても現れてきます。
そしてワタナベ先生が役員を辞任されたのが2018年2月でした。
ワタナベ先生は、温布の代理店・販売店さんたちのことを非常に気にされ、後ろ髪を引かれる思いでいらっしゃったようですが、私がワタナベ先生を辞任に追い込むような状況を作り出してしまっていたのです。
それにもかかわらず、ワタナベ先生は「また一緒に仕事ができる日が来るかもしれませんね。」とおっしゃってくださいました。

ワタナベ先生が取締役を辞任され、多くの温布の代理店・販売店もおやめになられました。
それでも、ありがたいことに200店以上の皆さまが残ってくださいました。
ワタナベ先生のコアなファンの方も多く残ってくださいました。

まさかの膵臓がん

2018年の夏ごろから、胃の調子がよくなく、体調もすっきりしない日が続いておりました。
そして悲劇は突然に。2019年1月に膵臓がんが発覚しました。
この時点で、正直頭の中はパニック状態です。
よりによって膵臓って・・・。
しかし周りの人や仕事の仲間たちには、平然を装っていました。
これは、恐怖と不安におののく弱い自分を見せたくなかったことと、心配をかけたくなかったからです。

それから2月初旬に入院となりました。
入院が決まった日に、あろうことか私はワタナベ先生に大変失礼なメッセージを送っているのです。
これは私も誰にもお話ししていないことです。ワタナベ先生も公にされてらっしゃいません。
辞任されてからも、ワタナベ先生とは事務処理の件や、励ましのお言葉をいただくなど、メッセージのやりとりはさせていただいておりました。
そして大変失礼なメッセージはこれ。
「今後一切メッセージを送ってこないでください。
病気になったのは、ワタナベ先生のせいです。」
という内容です。
今考えると、本当にあり得ないことです。
一番驚かれたのはワタナベ先生だと思います。
後から考えるに、一番わかって欲しい人に甘えていたのかもしれません。
そして2月21日に検査の結果、家族を呼ばれ「悪性腫瘍」であることを告知され手術となりました。

ワタナベ先生への暴言

3月に手術を受け、ここからが闘病の本番。
お見舞いに来てくれた人は「かわいそうに。もうダメだな。」と言いながら帰ったと、後日談で聞くほどの状態でした。
退院しても、これまでに経験したことのない激痛と恐怖と不安の毎日でした。

『生きることがこんなにもしんどいことなのか』
もう元の体に戻れないという絶望。それでも、また立ち上がろうという真逆の思いが交錯し精神的にも非常に不安定でした。

そんな時、SNSでワタナベ先生のことを中傷していた記事を読みました。
その記事を読んだ私は頭に血が上ってしまい、その中傷に同調し、あれほどまでにお世話になったワタナベ先生に対し、FacebookやTwitterという公式の場で暴言を吐き続けてしまったのです。
冷静になった時に思ったのは、あの時ワタナベ先生に一言、中傷の内容について確認すればいいだけのことだったのに。
ただ怒りに任せた暴言というのは、本当に見るに堪えないものです。

そしてその時には頭の中に、ワタナベ先生に誓った言葉など微塵もありませんでした。

「ワタナベ先生 このご恩は一生忘れません!」

私はこの言葉を反故にし、これ以上ない手のひら返しをしてしまいました。
この私の暴言を目にしたワタナベ先生、そしてファンの皆さまは大変ご不快な思いをされたと思います。
しかしワタナベ先生からは、それについても全くおとがめはありませんでした。

ワタナベ先生 本当にすみません

ようやく昨年2019年の12月頃に痛みからも解放され、3ヶ月毎の検査もクリヤしていき、やっと気持ちの落ち着きを取り戻してきたのが2020年の春先です。

そうなってきた時、心の中でもやもやした気持ちが湧き上がってきたのです。
窮地を救って下さり、そしてこうして仕事を続けることができるよう土台を作ってくださったワタナベ先生。
これほどまでにお世話になったワタナベ先生に、私はなんて事をしてしまったのだろう。しかも公式の場で。
ご恩を忘れないどころか、ご恩を仇で返すとはこのこと。
「人としてどうなん?」
自分の過ちを恥じ、そして悔やみ、勇気を出して今年の夏前にワタナベ先生に謝罪の手紙を出しました。

そしてワタナベ先生からのお返事は驚くべきものでした。
「私は怒ってませんよ。川本さんを通して学んだことは多々ありますので。」
「人は苦しい状況になると、その人の本質が出る、ともいいますが、逆に、思ってもみない言動をとってしまう、というのも事実です。きっと川本さんの場合は、後者だったのではないかと想像いたします。」

そしてさらに、とっても温かいお言葉が添えられていました。
それを読んで、もう言葉もありませんでした。
あんなに酷い暴言を吐いたのに・・・。

これでは終わったわけではありません

ワタナベ先生には、手紙でお詫びをしました。
誰も知らないところでこっそりと。
しかしながら、私のもやもやした気持ちが晴れたわけではありません。
私はSNSという公式の場で、ワタナベ先生を攻撃したわけですから、この公式の場で、再度ワタナベ先生に心から謝罪したいと思います。

ワタナベ先生 数多の失礼、本当に申し訳ありませんでした。

ワタナベ先生へのご恩は一生忘れません。

そして、ワタナベ先生のファンの皆さま、本当に申し訳ありませんでした。
一部のファンの方々からは、お怒りのメッセージや、手厳しいお手紙などもいただきました。

最後に

病気だったから・・・そんなことは言いわけにならないこともよくわかっております。
ですからこのブログにつきましても、ご批判も覚悟の上です。
しかし、私自身けじめをつけるためにも、ワタナベ先生に公式に謝罪がしたいと思いました。

そしてこの件で、大きな教訓があります。

1.感謝を忘れた人間の愚かさと、行く末の悲惨なこと
2.致命的な失敗は、上手くいってる時に起こしてしまう

ということです。
ワタナベ先生が辞任された時が、まさにこの2つが同時に現れた時でした。
そしてそこからさらに愚かな行動に走ってしまうという、ダメのお手本のようなものです。

今日はこの場で、ワタナベ先生、そしてワタナベ先生のファンの皆さまに心からお詫びし、これからの人生の教訓として新たなスタートを切りたいと思います。
また、大変ご心配をおかけしました温布の代理店・販売店の皆さま、そして日ごろから支えてくださっている皆さま方にも改めてお詫び申し上げます。

本当に申し訳ありませんでした。